高知駅前に啄木とその父一禎(いってい)の歌碑が建っていることを紹介して、井上さんは次のように書いている。
岩手県の寺で住職をしていた一禎は、生活苦から啄木の姉とら夫妻のもとに身を寄せた。とらの夫は鉄道官吏で、高知出張所長として赴任した際、一禎も共に高知に来て二年ほど過ごし、そのまま当地で亡くなったのである。
一禎と言えば渋民村の宝徳寺の住職を宗費滞納によって追われ、啄木がその復帰運動に奔走したことは知っていたが、まさか高知で亡くなっているとは。意外な話である。
啄木の姉とらの夫、山本千三郎については、先日読んだ原口隆行著『文学の中の駅』の中で詳しく取り上げられていた。
三重県の出身で、日本鉄道上野駅を振り出しに鉄道マンとしての道を歩みはじめ、盛岡駅車掌、上野駅助役を勤めてから北海道入りをした。たまたま盛岡時代に啄木の伯母・海沼イエ方に下宿していて、手伝いに来ていたトラと結ばれたことで、啄木とは義兄弟の間柄となったわけである。
さらに、高知や一禎の話も出てくる。
昭和二年(一九二七)、高知駅長を最後に定年退職。昭和二十年(一九四五)、七十六歳で没。(…)父の一禎が亡くなるまでの十七年間面倒を見るなど、生っ粋の鉄道マンらしく律儀な人だったという。
啄木の人生と鉄道がいろいろなところで関わりを持っていたことを、あらためて感じた。