2013年03月13日

『「唱歌」という奇跡 十二の物語』の続き

唱歌は和歌や短歌とも深い関わりを持っているらしい。日本の詩歌が讃美歌の登場により存廃の危機に直面したことを指摘して、著者は次のように書いている。
 ハワイなどでは日本よりずっと早く一八二三年に最初の讃美歌集が出版され、それ以来讃美歌の影響は甚大で、伝統の詩歌は讃美歌に置き換えられていった。
 同じ危機に直面した日本で、日本の詩歌の伝統を保守したのが宮中の御歌所であった。

旧派和歌の歌人たちの牙城とも言える御歌所が、唱歌の誕生に深く関わっていたのである。
(…)和洋折衷、和魂洋才の智慧を働かせ、讃美歌を巧く取り込みながら換骨奪胎し、唱歌の詞を書き続けたのが、高崎正風御歌所長をはじめ、税所(さいしょ)敦子、谷勤(いそし)ら宮中御歌所に連なる歌人たちだったところに唱歌のすごみがある。

著者はこのように述べ、さらに「つまり唱歌集は近代日本の半ば隠された勅撰和歌集であったと言っていい」と結論づけている。何という刺激的で魅力のある着眼点だろうか。

今度、私たちの勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」の第3回の講師に、この著者である安田寛さんをお招きすることが決まった。日時は7月6日(土)。詳細については、後日あらためてお知らせ致します。

posted by 松村正直 at 00:16| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。