ハワイなどでは日本よりずっと早く一八二三年に最初の讃美歌集が出版され、それ以来讃美歌の影響は甚大で、伝統の詩歌は讃美歌に置き換えられていった。
同じ危機に直面した日本で、日本の詩歌の伝統を保守したのが宮中の御歌所であった。
旧派和歌の歌人たちの牙城とも言える御歌所が、唱歌の誕生に深く関わっていたのである。
(…)和洋折衷、和魂洋才の智慧を働かせ、讃美歌を巧く取り込みながら換骨奪胎し、唱歌の詞を書き続けたのが、高崎正風御歌所長をはじめ、税所(さいしょ)敦子、谷勤(いそし)ら宮中御歌所に連なる歌人たちだったところに唱歌のすごみがある。
著者はこのように述べ、さらに「つまり唱歌集は近代日本の半ば隠された勅撰和歌集であったと言っていい」と結論づけている。何という刺激的で魅力のある着眼点だろうか。
今度、私たちの勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」の第3回の講師に、この著者である安田寛さんをお招きすることが決まった。日時は7月6日(土)。詳細については、後日あらためてお知らせ致します。