2013年03月08日

小沢昭一著 『日本の放浪芸 オリジナル版』

1970年代に万歳、人形まわし、琵琶法師、見世物、にわか、香具師など、日本各地の芸能を訪ね回った記録。

私の生まれ育った東京の郊外では、こうした放浪芸はほとんど見たことがなかったように思う。だから懐かしさは感じないが、とても興味を引かれる。著者は芸能巡りの動機について、俳優の仕事に「一種のよりどころが欲しかった」と書いている。

しかし、そうした芸能は当時既に全国的に衰退していく状況にあった。
日本の放浪遊行の芸能は、宗教性に裏うちされていて、多く祝福の祈祷と荒神の祓いを行うものである。(…)そしてその世の中の信仰が、ここへ来て急速に薄らいで来たのにつれて、そういう芸能もほとんど影をひそめた。カミもホトケもあるものかという社会に、神の来訪の芸能は無用なのだ。

しかし、著者はそれをいたずらに嘆くことはしない。過去に対する郷愁に浸ったりはしないのだ。それは、著者自身が現役の芸能人だからである。
浮沈興亡のはげしい芸能の、その本質は、常に現在形であるということ――過去や未来の中に生きるのではなく、当代の観衆の求めの中にのみ、芸能の花は咲かねばならないということなのだ。

この姿勢こそ著者の真骨頂なのだろう。「芸能の場合、亡びたのは、なにはともあれ、民衆が捨てたからなのである。つまらないから捨てたのだ」という言葉は、読む者にずしりと重く響く。

2006年8月17日、岩波現代文庫、1200円。

posted by 松村正直 at 00:04| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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