新作をつくっては千樫の元に持って行く日々が続いたようだ。
然し私の歌は先生からほめられることが尠かつた。いくら懸命に作つてもつて行つても、先生はにがり切つた顔しか見せなかつた。ある時は他の門人達の面前で、「君の歌は硝子へ書いた字のやうだ、ひよいと拭けば消えてしまふ」と先生は、私の歌に痛罵を浴びせた。私は千樫を憎い先生だと思つた。 (『太石集』巻末記)
しかし、2人の関係は長くは続かなかった。
昭和2年8月に千樫は肺結核で亡くなってしまうのである。42歳であった。
先生が生きてゐたならば、この「太石集」をみて、何と言ふであらうか、私はもう一度頭から痛罵を浴びせかけてもらひたい念が強い。
こうした強い師弟関係というのは、今ではほとんど見られなくなってしまったものだろう。
橋本徳寿の熱い文章を読みながら、その熱さを羨ましく思ったりもする。