この朝を千樫のごとく家を出て水難救済会には行かず
藤原龍一郎『東京哀傷歌』
加藤さんはこの歌に出てくる「(古泉)千樫」と「(帝国)水難救済会」について詳しく書いており、その中で千樫の弟子である橋本徳寿の『古泉千樫とその歌』の文章を引用している。
その橋本徳寿の第2歌集『太石集』(昭和6年)にも、「水難救済会」と題する5首がある。
二十年亡き師がここに腰かけて為しし仕事は歌の道にあらず
ここにして古泉幾太郎事務員の課長石榑辻五郎に会ひし
亡き人が宿直(とのゐ)にききし川波の音ぞきこゆるさ夜ふけにけり
冬の夜を茂吉憲吉この宿直室(へや)に千樫と歌をあげつらひ明かす
月給をもらひてかへる橋のうへに心さびしく昂(あが)らずあらめや
昭和5年に詠まれた歌で、2首目の「古泉幾太郎」は千樫の本名、「石榑辻五郎」は千樫の上司であった石榑千亦の本名である。千樫の勤め先だった帝国水難救済会を訪れて、亡き師のことを偲んでいる様子がしみじみと伝わってくる一連だ。