その歌の批評をする時に、「短歌には、もの洗い歌の系譜があって…」などと冗談交じりで言ったのだが、実際に、台所で何かを洗っている歌というのはけっこう見かける。
嘘つきて憎みてかつは裏切りて夕べざぶざぶ冬菜を洗ふ
河野裕子『ひるがほ』
すでに怒りを言葉にしない妻にして笊に苺を洗う音する
吉川宏志『夜光』
怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい
東 直子『青卵』
試しにこうやって歌を引いてみると、その特徴が見えてくる。
一心にものを洗いながら、そこに何か感情をぶつけたり、吐き出したり、鎮めたりしているのだ。
最近、台所に立つ機会が多いので、こういう歌の味わい方がだんだんとわかるようになってきた。