新聞などでも報じられている通り、大鵬は1940年、樺太生まれ。
戦後すぐに、母に連れられて北海道に引き揚げてきた人である。
今、連載「樺太を訪れた歌人たち」で敷香(しすか、しくか)郊外にあった「オタス」の話を書いているが、この敷香という町が大鵬の出身地。
当時のガイドブックには
北方ソヴェート領内に源を発した国際河川幌内川の河口、多来加湾に臨む奥地樺太に於ける屈指の都市である。(…)幌内川流域一帯の土木及毛皮の集散地として市況活発、殊に最近は人絹パルプ工場の建設に依り更に興隆の機運に輝いてゐる。人口二万九千。
とある。
大鵬の父はウクライナ人で、ロシア革命を嫌って国外に脱出・亡命した「白系ロシア人」と呼ばれる人々の一人である。日本領の樺太には、こうした人たちが数多く住んでいた。そうした歴史がなければ、大鵬の父と母が出会うこともなかったわけである。
生き別れになった大鵬の父のその後や、引き揚げ船「小笠原丸」の撃沈など、大鵬と樺太をめぐる話には興味が尽きない。
還り来ぬ国土ゆゑことさらになつかしき樺太敷香町北一番街
林田恒利『歴洋』