2013年01月02日

『大阪アースダイバー』のつづき

船場の商家の暮らしを記した部分。
こうして、見所のある、辛抱のできる丁稚は認められて、番頭になれた。さらに番頭はんの仕事ぶりが認められて、これは優れ者やと認められれば、極楽とんぼのような「ぼんぼん」を差し置いて、自分の働いている商家のご令嬢である「いとはん」の婿に選ばれて、「旦はん」になることだって、夢ではなかった。

このあたり、先日聴いた上野誠さんの講演「折口信夫の挑戦」にも出てきた話だ。

高安国世も船場の道修町の生まれ。幼少時は病弱のため芦屋の別邸で過ごすことが多かったが、大阪市立愛日小学校に入学してからは、道修町に住んでいる。

高安国世は女3人男3人の6人きょうだいの末っ子。国世の姉、石本美佐保の『メモワール・近くて遠い八〇年』には、道修町での暮らしのことが詳細に書かれている。その中に、女中さんたちが彼女たちを呼ぶ時の呼び方が載っている。
綾子(長女)  お嬢さん、イトハン
美佐保(次女) 中イトハン
英子(三女)  小イトハン、コイサン
彰(長男)   ボンボン
正夫(次男)  中ボン
国世(三男)  コボンチャン

女中さんたちから「コボンチャン」と呼ばれ、大事にされていた子供時代の高安国世の姿が浮かんでくる。

posted by 松村正直 at 02:00| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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