こゑ揃へユウコサーンとわれを呼ぶ二階の子らは宿題に飽き
河野裕子
子どもたちはおそらく中学生か高校生だろう。思春期を迎えて、母親のことを「お母さん」と呼ぶのが恥ずかしくなってくる年頃だ。
そんな子どもたちが「ユウコサーン」と下の名前で作者に呼び掛けている。その呼び掛けは新鮮であると同時に、作者に少し寂しさを感じさせるものだったような気がする。
作者は家の中にいるのだろうか。あるいは庭に出て洗濯物の取り入れなどをしている場面かもしれない。そこに二階の窓から子どもたちが声を掛ける。
この歌は、やはり「ユウコサーン」がポイントだろう。幸せな家族の一場面を詠んだ歌でありながら、そこには母と子の間の微妙な距離の変化が滲んでいる。
こゑ揃へユウコサーンとわれを呼ぶ二階の子らは宿題に飽き
こゑ揃へお母さーんとわれを呼ぶ二階の子らは宿題に飽き(改作)
こうやって比較してみれば、その違いは明らかだろう。もし「ユウコサーン」が「お母さーん」であったなら、金井や島田の言うように「幸せな主婦の何の変哲もない日常報告」の歌になってしまう。
そうした違いを丁寧に読み取っていくことが、短歌にとって大切なのではないだろうか。
たしかこの歌はアメリカから帰ってからの歌で、アメリカの家族のように個人同士として名前を呼びあう関係性へのあこがれが背景にあるように思います。
従来の家族とは違う、新しい家族像を創りたいという意識があったのではないでしょうか。
家族という主題意識が、かなりはっきり出ている歌で、当時はある種の時代性(古い社会への抵抗のようなもの)をもっていたような記憶があります。
今ではいかにも河野裕子的な歌という扱いになっていますが、もう少し違うニュアンスはあったように思うのです。
この歌は歌集『歳月』の掉尾を飾る一首で、歌集の連作の中で読むと、また随分と感じが違うのですね。
多分、河野さんにとっても自信作の一つだったのだと思います。先日購入した「現代短歌朗読集成」にも、自選21首の中にこの歌が入っていました。
でも、兄弟姉妹はオニイチャンオネエチャンとは言わず、ジムとかレベッカとか、上下のない呼び名のはずです。
そのあたりの雰囲気を体得して、親でもユウコサーンと(一回でも)呼ぶ素地ができたのかもしれませんね。
こんなふうに一首一首に立ち止まって、あれこれ考えながら読んでいくことが、短歌にとって大事なことだろうと思っています。