2012年12月04日

『ヘンな日本美術史』の続き

印象に残った部分をもう少し。
日本で中国風の山水画を描くとなると、その風景は基本的に想像の産物です。けれども中国の風景写真なり、映像を見れば分かりますが、あの国には山水画に描かれたような風景が実際にあるのです。
上手い人は、信じられないくらい上手くなって、その上手さの泥濘から抜け出していくしかありません。それを、わざわざ上手さの影に潜った風を装うのは、とても見苦しい感じがします。
自転車に乗る事よりも、一度知った乗り方を忘れる事の方が難しいように、透視図法と云うものを忘れると云う事はできませんので、それを自覚的に忘れようとすると、近代の日本画になってしまうのです。
「美術」と云う明治に訳された言葉でそれ以前の雪舟や北斎をくくると云うのは、足利や徳川の将軍を足利総理大臣、徳川総理大臣と呼び直すような無理がある事を忘れてはいけません。呼び直しによって見えなくなった事が幾つもあるからです。

短歌の評論集や歌論を読むのももちろん大切だが、こういう別のジャンルの本を読んで短歌の実作に関する多くのヒントを得ることもある。結局、ほんとうに大事な部分というのは、ある程度どのジャンルにも共通していることなのだろう。

posted by 松村正直 at 00:44| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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