亡き父が生きて購ひたるその店へ柱時計を修理に出せり
雪のなかとどろく磯にひとり立つ、海の息吹きに頬を晒して
きんいろの虻とびたちてわがまへに果てなくつづく夏のたかはら
加茂水族館。
放ちたる乳液のごとけむりつつくらげと呼べるいのち漂ふ
蜘蛛のゐる浴室に朝の沐浴(ゆあみ)せり。窓のひかりに湯気は耀(かがや)く
春までになほいくたびか閉ざされむ。雪こそはわがひととせの繭
われへわれへとあなたを連れて遡上する。夕暮れまでに間に合ふだらう
文机、しづけき夜に物書けばこころの底にみづうみの見ゆ
天空に肋(あばら)晒して喘ぎをり、見えざる「線」を吐き出しながら
ふるさとは取り替へられぬ。くれなゐの同心円の中のふるさと
1首目は「生きて」がいい。「亡き父が購ひたる」なら普通だが、そこを「生きて購ひたる」としたことで、父の存在感と生家に流れる長い時間が感じられる歌となった。
5首目は朝風呂に入っているだけの歌だが、何とも美しい。下句「窓のひかりに湯気は耀く」はシンプルだが、朝日の差し込む感じや湯舟から立ち上る湯気の感じ、そして作者の喜びをうまく表している。
8首目は福島の原子力発電所を詠んだ歌。他にも「体液を噴いてのたうつ象たち」といった比喩も使われている。原発に対する立場は人それぞれであるが、イメージの喚起力の強さに目を見張る。
世の中には器用で歌の上手な歌人はたくさんいるが、「この人は本物だ」と感じる歌人は意外に少ない。高島裕はそんな本物を感じさせる歌人の一人である。
高島のうたの特徴は、歌柄の大きさと調べの良さだろう。うたという様式に対する全幅の信頼がそこからは感じられて、(かすかな危うさを孕みつつも)心地よい。
この歌集は一般的な歌集の出版社ではなく、富山の発行所から出版されている。そんなところにも、高島のふるさとに寄せる一貫した思いが強く滲んでいる。
高島は第1歌集『旧制度(アンシャンレジーム)』でながらみ書房出版賞を受賞して以来、短歌の賞とは縁がない。結社から離れてひとりで歌を作っていることも影響しているのかもしれない。もっともっと評価されてしかるべき歌人だと思う。
2012年10月24日、TOY、2500円。
富山にスゴイ歌人がひっそり牙を研いで
いるような。
昨日、高島さんにそのことを少ししたため
お礼状を出しました。
連休仕事にきますから、もうちょっと目の前に置いておいてちらちら読みます(どーせサービス休日出勤だし)
短歌の持つ訴求力や魅力が、多くの人に届くことを願っています。