永田さんの歌集『夏・二〇一〇』の中に「高安国世に話は及び…」という一連8首がある。
どれほどの歌人だつたかと人問へりわが師であつたそれはそれだけおそらく、短歌関係者以外の人との会話の中で、高安国世に話が及んだのだろう。高安を知らない人に向って、師のことをどのように説明したらいいのか。
俺だつてほんたうはまだわからない高安国世とは何だつたのか
曼荼毘華はダチュラと知りぬ曼荼羅華の烟のなかの高安国世
語弊を恐れずに言えば、高安国世は一・五流、あるいは二流の歌人である。同世代で言えば、近藤芳美や宮柊二にはかなわない。5人くらい名前を挙げる中には入るかもしれないが、決して1番にはなれない。
それは、京都に住んでいたという地理的なハンデだけでなく、高安自身の資質的な問題であった。高安の短歌に欠けていたものは何なのか。それは、今後誰かが高安論を書く際の大きなテーマになるだろう。
これは高安を貶めようとして言っているのではない。「高安国世の手紙」を書いていて感じたのは、一流になれなかったからこそ高安国世は面白いということだ。それに、ほとんどの歌人は二流にさえなれないのである。
50年以上にわたって短歌を作り続け、精一杯の努力をして、誠実に生きてきたにも関わらず、高安は一流の歌人にはなれなかった。その哀しみは、弟子である永田がおそらく一番よく知っている。
3首目の歌は、曼荼羅花の葉を燻べた煙を吸っている高安の姿である。持病の喘息の治療のために、高安はこのまんだらげを自宅で栽培していた。高安が「まんだらげ」を詠んだ歌を最後に1首引いておこう。
まんだらげの煙こもらふ一ときを我が王国と今にかなしむ
高安国世『真実』
あれほど高安を追いかけてきた松村さんの言葉だけに、
この言葉は重いですね。
でも、まあ、そうなんでしょうね。
やっぱり高安さんは自分に自信がなかったような気がする。
近藤芳美は人に何と言われようと、自分の「これ」というものが
あったし、宮柊二も絶対人に譲れない「孤独」があった。
それがあるかないか、それに恵まれるかどうかは、
個人の努力ではどうしようもない運命なんだろうなあ、と思います。
自信がなかったというのは、その通りだと思います。
自分の歌に対する迷いや悩みが、ずっとあったのでしょう。
そのあたりが人間的には共感するところでもあるわけですが。
>小川さま
もちろん評価は人それぞれでしょう。
ただ、褒め称えることだけが高安さんのためになるとは思っていません。欠点も含めて冷静に見ていくことが大事だという考えです。