松坂弘さんが編集発行人を務める「炸短歌会」の隔月刊誌。
鈴木豊次さんという方が「茂吉の『寒雲』について」という1ページの連載を書いている。今月が33回目。
その中に茂吉が昭和5年に満州を旅行した時の話がある。鞍山市の千山を訪れた帰りに地元の小学校の授業を見た場面を、茂吉の『満洲遊記』から引用している。
「支那の教育も侮りがたいものがあり、特に『憎日』が中学生以上大学生あたりに侵潤せんとしつつある。」80年以上前に茂吉が書いた文章なのだが、何だか最近の話のようでもある。尖閣諸島をめぐって中国で反日デモが盛んに行われた時、その理由の一つとして中国における反日教育、愛国教育が挙げられていた。
昭和5年当時は「憎日」という言葉があったのだろう。『満洲遊記』には、他にも「排日宣伝」「反日救国」「打倒日本」といった言葉が出てきて、読んでいると複雑な気分にさせられる。