他にも印象に残った部分をいくつか。
よく「歌が出来なくなつた」といふ言葉を口にするものがある。たしかにそれは事実でもあらうが、しかし、そのことをよく考へてみると、これは僭越な言葉とも言ひ得る。一たい「出来ない」といふ言葉は「出来る」といふことを前提にしたものであつて、それなら今まで出来てゐたのかといへば、必ずしも出来てゐたとは言へないことが多い。なるほど、ごもっとも。
こんなふうに言われたら、何も言い返せないなあと思う。
続いて、『戦歿将兵の遺族の為に』という小冊子に付けられたフリガナについての話。
たとへば、「後顧の憂」には「あとのしんぱい」、「軍民」には「ぐんぶとみんかん」、「殉国の英霊」には、「いのちをささげたひとのみたま」といふやうに、年よりにも、子供にも、よくわかるやうにといふ配慮が十分に窺ひ知られるのである。「殉国の英霊」という漢語と「いのちをささげたひとのみたま」という和語では、同じ意味であっても、言葉から伝わる雰囲気は随分と違う。
似たような話でもう一つ。『英訳万葉集選』について。
(…)早速、最初のところを披いてみると、まづ、巻一、雄略天皇の御製があつたが、僕は一読して、卒然、「はゝあ、やはり basket ですね」といふ語を発せざるを得なかつたのである。「籠毛与 美籠母乳 布久思毛与 美夫君志持…」〈籠(こ)もよ み籠(こ)もち ふくしもよ みぶくし持ち…〉の部分。「籠」が「basket(バスケット)」と訳されることへの違和感を述べている。これもよくわかる気がする。
反対に、それが新鮮に感じるということもあるだろう。リービ英雄の『英語で読む万葉集』を読むと、そういう印象を強く持つ。彼の訳では、この部分は
Girl with your basket,となっている。何ともわかりやすい。
with your pretty basket,
with your shovel,
with your pretty shovel,
「籠」と「ふくし」を持った古代の娘が、あたかも時空を超えて、「バスケット」と「シャベル」を持つ少女に変身したかのようである。