短歌についての文章や歌人としての日々を綴ったエッセイをまとめた本。
1章が「短歌の現代性(リアル)」、2章が「歌人(うたびと)として生きる」となっていて、短歌と仕事と家庭の3つの中で生きる著者の姿が、くっきりと見えてくる内容となっている。
著者の文章は非常に歯切れが良い。自分の立場を鮮明に出している点が、読んでいて気持ちがいい。特に印象に残ったのは、下記のような部分。
不思議なことであるが、この詩型においては、ソーセージに芥子がのっているというようなことが俄然輝きを放つのである。
ただ、歌人の意識として「売りたい」即ち「儲けたい」では、なかったのではないか。利潤ではなく、読者を欲していたのである。
結社の機能は、概ねネットの環境に置き換え可能である。が、只一つネットの会にはないものがある。それは師弟関係だ。
短歌は才能ではない。この詩型への強い思いがなければ歌人にはなれない。どれも箴言のように強く響いてくる言葉である。
こうした言い切りの言葉の強さが、加藤治郎の魅力でもあるのだろう。
2012年7月4日、書肆侃侃房、1500円。
まったく彼らしい考え方である。短歌は詩であって詩人であらねば生まれ得ないであろう。詩型の強い思い、というとらえかたが頑なまでの作為を感じさせる。現代短歌のありようを思わせる。わたしはここが思惟せねばならんところではないかと考える。生まれ創るものとおのずと生まれいずるもの、わたしは後者の方にこころがゆく。おのずと生まれいずれば歌の姿を整えたらいいではないか。これが歌の才能である。