『湖をさがす』を読んでいると、いろいろと楽しいことがある。
例えばこんな歌。
さやさやと息子の尿(ゆまり)の音聞こゆ塾を終え来し夜の厠にこの歌に詠まれている息子はたぶん12歳、小学6年生。
これを読んですぐに思い出すのは永田和宏の次の一首。
朝食の卓にまでどうどうと聞こえ来て息子は尿(いばり)までいまいましけれ当時、息子(淳さん)は18歳、高校3年の頃の姿である。
永田和宏『饗庭』
「さやさや」と「どうどう」、「ゆまり」と「いばり」。親子三代の尿の歌であるが、息子の年齢によって随分と雰囲気は違ってくる。
もう一首。
子を擲ちし指先熱くなり始む正午を過ぎてゲラに向かえばこの歌を読んで思い出すのは、河野裕子の有名な一首。
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る子どもを叩いた後の手の熱さは、単に物理的な痛みだけではなく、気持ちの痛みを伴っている。それは昔も今も変らないことなのだろう。
河野裕子『桜森』