2012年10月07日

永田淳歌集 『湖をさがす』 (その2)


『湖をさがす』を読んでいると、いろいろと楽しいことがある。
例えばこんな歌。
さやさやと息子の尿(ゆまり)の音聞こゆ塾を終え来し夜の厠に
この歌に詠まれている息子はたぶん12歳、小学6年生。
これを読んですぐに思い出すのは永田和宏の次の一首。
朝食の卓にまでどうどうと聞こえ来て息子は尿(いばり)までいまいましけれ
              永田和宏『饗庭』
当時、息子(淳さん)は18歳、高校3年の頃の姿である。
「さやさや」と「どうどう」、「ゆまり」と「いばり」。親子三代の尿の歌であるが、息子の年齢によって随分と雰囲気は違ってくる。

もう一首。
子を擲ちし指先熱くなり始む正午を過ぎてゲラに向かえば
この歌を読んで思い出すのは、河野裕子の有名な一首。
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
              河野裕子『桜森』
子どもを叩いた後の手の熱さは、単に物理的な痛みだけではなく、気持ちの痛みを伴っている。それは昔も今も変らないことなのだろう。

posted by 松村正直 at 00:17| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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