「未来」10月号をぱらぱら読んでいたら、或る訃報が目にとまった。
■訃報この名前には、高安国世との関わりで見覚えがあった。
宮本まさよし 平成二十四年三月ご逝去
高安は昭和29年の秋に広島を訪れて「広島にて」と題する16首の歌を詠んでいる。この時のことは『カスタニエンの木陰』所収の「広島にて」という文章にも記されているのだが、その中に
昨夜はみやもとまさよし君と藤原俊彦君とが宿を訪ねてくれて、いろいろ話した。という一文があるのだ。
宮本はこの年4月に創刊されたばかりの「塔」の会員であった。こんな歌を詠んでいる。
原爆ドーム除去して傷痕を忘れよと怒り知らざる彼らの言葉宮本が「塔」の会員であったのは3年ほどのことだったようで、それ以降は歌も文章も「塔」には載っていない。
ミス・ヒロシマ撰ぶ催しに抗議せし原爆少女のひとりありしと
みやもとまさよし 「塔」昭和29年9月号
今回、「未来」を読んで初めて知ったことがある。「歌会だより」の広島歌会のところに、次のように書かれているのだ。
広島歌会のリーダー的存在であられた宮本まさよし氏(近藤先生の従兄)のご逝去の報が届いた。東京に転居されて六年位か。宮本まさよしは近藤芳美の従兄だったのだ。なるほど、そういう関係であったのか。広島は近藤の母方のふるさとであり、近藤は中学から旧制高校にかけての時期を広島にある外祖母の家で暮らしている。
高安国世、宮本まさよし、近藤芳美、そして広島。私の中でそれらがようやく一つに結び付いた瞬間であった。