「大阪歌人クラブ会報」第112号を読んだ。2月20日発行なので、半年以上前に出たもの。棚に置きっ放しで、読んでいなかったのだ。
真中朋久さんの講演「河野裕子の道、耳、声」が載っている。これがとてもいい。
真中さんは「道なり」という言葉の受け取られ方が関東と関西では違うというところから始めて、「道」の出てくる歌、さらに「耳」や「声」の歌を引いて話を進めている。
特に印象に残ったのは、次のような箇所。
河野さんは「母として云々」とよく言われるんですけれど、包みこむようなものを母性というなら、それはむしろ河野さん自身ではなく、「大仏殿」である永田さんに求めていたのではないかと思います。これは、池田はるみさんの名言「河野裕子は大仏。永田和宏は大仏殿。」を受けての話。
もう一歩踏み込んで言えば、河野さんは母であり娘であるわけですが、本質的には、娘として、庇護されているという安心感のなかで、自由に、大胆にあれだけの仕事をなさったのではないかとも思うわけです。「母としての河野裕子」ではなく「娘としての河野裕子」。これまで意外に言われてこなかったことだろう。この観点に立つと、随分と新しい風景が見えてくるように感じる。『母系』における母の死の歌なども、この観点から読むのが一番わかりやすい。
河野さんの作品の「声」とか「肉声」ということは、よく指摘されることですが、音声のリアリズムというのは、視覚中心に構成されたリアリズムとはちがったもの。ここでは「音声のリアリズム」を視覚的なリアリズムと対比して捉えているところが新しい。河野作品の根幹を読み解く鍵になるかもしれない指摘だと思う。