金井美恵子が短歌について記している、さらに古い文章がある。1979年発行の『短歌の本 第一巻‐短歌の鑑賞』に掲載されている「愛の歌」というもの。この文章は1993年発行のアンソロジー『日本の名随筆別巻30 短歌』(佐佐木幸綱)にも収録されている。
短歌との巡りあわせが悪かったせいで、詩を書こうという欲望は持ったが、短歌を作ろうとも読もうとも、長いこと思わなかった。簡単にいえば、凡庸な田舎歌人が身近な身内と親戚にいたので、最初から敬遠する気分が強く(…)という感じで、金井の文章は始まる。
さらに、金井は短歌について次のように書く。
形式というものそのものが、あるいはグロテスクなものであるのかもしれないのだが、短歌という、広大なすそ野に広がる無数の作者群を持つ詩的形式は、その、あまりにも親しいリズム(日本語のなかにすっかり喰い込んだ一種脅迫的韻律というべきだろうか)とともに、悪しき夢でもあるかのように、どうやら、私たちの耳にこびりついてしまうものらしいのだ。小野十三郎の「奴隷の韻律」を思わせる内容であり、詩人が短歌に対して抱く印象の一つの典型でもあるのだと思う。
その後、金井は石川淳『紫苑物語』や岡本かの子『浴身』、宮沢賢治の短歌へと話を進めていくのだが、どれも歌壇的な歌人の作品ではないところに注目すべきだろう。
けれども、実を言えば、この金井の「愛の歌」を読んで、私はある種の感動を覚えたのであった。この文章で金井は短歌のあるべき姿を熱く語っている。そうした理想は、確かに普通の歌人が語らなくなってしまったものかもしれない。
おそらく金井には、短歌に対して愛憎半ばするアンビバレントな思いがあるのだろう。その思いが、「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」という論考の基になっているのだと思う。