2012年09月09日

どくだみと河野裕子(その1)


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河野裕子・永田和宏著『たとへば君』の中で、永田さんは河野さんと初めて出会った時のことを、次のように書いている。
私の所属しはじめた「塔」という結社誌を見せたら、彼女はその表紙にとても興味を示した。須田剋太(こくた)画伯によるドクダミの表紙だった。「塔」は創刊以来、主宰者の高安国世先生の友人ということで、須田画伯の表紙絵を半年ごとにいただいていたのである。私が河野に見せたのは、たぶん七月号だっただろう。グレイの単色刷りの表紙だが、切り絵のようなタッチのドクダミの白十字の花が数片、鮮やかに浮き出している。
昭和42年7月、京都の学生が集まって作った同人誌「幻想派」の顔合わせの歌会の場面である。須田剋太は司馬遼太郎の「街道を行く」シリーズに同行して挿絵を描いたことでも有名な画家。「塔」は昭和29年の創刊から平成2年に須田が亡くなるまでの37年間、表紙に須田の絵を使わせていただいていた。

文章はさらに、次のように続く。
河野は、付きあいはじめた頃から植物に対しては異常なほどの興味を示し、特に特徴のない野の草花の名前をよく知っていた。ドクダミも好きな花らしく、その号を手にとってしげしげと眺め、そして載りはじめたばかりの私の歌なども、そこで読んだはずである。
確かに河野さんはどくだみが好きだったようで、どくだみを詠んだ歌がたくさんある。第1歌集『森のやうに獣のやうに』でも、悲しい場面でその印象的な白い十字の花(苞)が詠まれている。
にくしみに冷えつつ摘みし十薬の白十文字の花逆さ干す 『森のやうに獣のやうに』
今さらに恨むせんすべなきものをどくだみは匂ふ闇に光りて
肌ざむき欠落の時もどくだみは闇に十字に連なり咲けり

posted by 松村正直 at 02:25| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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