昨年長野で開催された「塔」の全国大会で、池本一郎さんにインタビューをした。「池本一郎に聞く〜高安国世・信州・清原日出夫」というタイトルの通り、主に高安国世と清原日出夫に関する話を聞いたのだが、その中に坂田博義の話も出てきた。
池本 坂田さんというのは着流しで歌会に来る学生なのね。ある時、歌会が済んでからレストランに行くと、ナイフとフォークをバーンと床に投げつけるんですよ。僕はこういうものは嫌だから上手にならん!って言ってですね。二十代で「着流しで歌会に来る」というのにも驚くが、ナイフとフォークのエピソードは初めて聞いたもので、坂田の性格がよく表れているように感じる。
松村 ナイフとフォークの使い方がうまくいかなくてということですか?
池本 うん。新京極だったかな、もう席を立ってね、ナイフとフォークを床にほうりつけたる。そういうのを見て、こっちはびっくりしちゃってね。
池本 (…)だけど日本はかつてない高度成長期の入口に入ってたんですよね、昭和三十六年、七年というのは。坂田がマツダオートの車のセールスする。車社会への象徴みたいですが、他の仕事がなかったのかもしれないんだけど、どうしてああいう職業に就いたのか。仮定ですけどね、学校の先生か何かだったら、いい先生として生徒にとても喜ばれる職業人であったかもしれない。ところが、ナイフとフォークを投げつけるような人がセールスに向くかって考えるとね。この話を聞いた時には「学校の先生か何かだったら」というのは、ただの思い付きの話のように思っていたのだが、実はそうではなかったのだ。教育実習に行っていた坂田には、卒業後に学校の先生になるという道もあったわけである。