実習二日目。
二月二十三日片道十キロの雪道を歩いての通学、それも毎日のことであるから大変だ。この時点で坂田は「若い情熱を僻地教育にささげる」ことも考えに入れていたらしいことがわかる。
○今日もとても寒かつた。職員室の大きなストーブに大割の薪がどんどんくべられる。いかにも新しく開拓された土地らしい。
○生徒がきわめて遠くから通学しているのには胸をうたれる。最も遠いものは十キロの雪道をかよつてくる。
その道は夏には熊のでる道である。たちまちにしてどうしたらよいのかわからない問に逢着した。
たとえば、この様な学校に赴任したとしたら、教師たるもの、いかにすればよいのであろうか?
往復二十キロの通学に消費するエネルギーは、成績はもとより、肉体的成長をもはばんでいるのだ。つきつめれば政治の貧困ということになろう。私の若い情熱を僻地教育にささげるのも楽しいと思つたのは、雪道を汗まみれになつて登校する生徒を目撃したからだ。
○本校の構成は職員五名、生徒一一二名である。
坂田は昭和12年に函館に生まれ、8歳の時に道東の上士幌町に移り、昭和32年、立命館大学入学を機に京都に来ている。そんな坂田の眼に、ふるさと北海道と都会である京都はどのように映っていたのだろうか。