「塔」1961年9月号に坂田博義の「実習日誌」と題する文章が載っている。坂田は清原日出夫とともに60年安保の時期に「塔」で活躍した歌人。昨年亡くなった坂田久枝さんの夫でもあった方だ。
今日からしばらく、その実習日誌(教育実習の様子を綴ったもの。誌面で4ページ分)をご紹介していきたい。
二月二十二日教育実習の初日。「氷点下二十二度」という寒さに、まず驚かされる。
○梅のほころびていた京都から帰省すると、網走本線の小駅の当地はひどく寒い。氷点下二十二度。十勝平野の北端にあたり、大雪山系と阿寒山系から波のように丘陵がせまつていて、大平原のおもかげはない。凍雪(しみゆき)の野にたつと、深い静寂があたりをおしつつみ、ここまで都会の喧騒もおよぼうとしない。
○実習校は私の家と庭つづきである。当地は北海道でも最も寒く、冬期間は九時に始まる変則時間割をくんでいる。
校長先生ならびに教頭先生は出張されていたが、立命館の先輩の宮川先生がいろいろめんどうを見て下さつた。
○出張された先生の補欠として、一時限目、一年生の数学、三時限目、一年生の国語を教えた。
私の取得希望教科は「社会」だが、いろいろの教科を教えてみることも無意味でないと考えて、勇んで教壇にたつた。
○指導案の作り方について、宮川先生にいろいろおそわつた。