2012年08月16日

河野裕子と宮柊二


河野裕子の第5歌集『紅』には、1986年の宮柊二の死を詠んだ一連「宮柊二」がある。
死者として額(ぬか)ふかぶかと宮柊二この世の涯のひと夜をありつ
白骨となりてしまひし先生に黒き靴はき会ひにゆくなり
宮柊二の死をばはさみて歩みつつ昔のこゑに人は黙せる
当時、河野さんは「コスモス」の会員であり、宮柊二は河野にとっての先生であった。
これ以降、河野の歌にはしばしば宮柊二を偲ぶ歌が登場する。
ゆつくりと湯槽(ゆぶね)よりあげし顔貌は宮柊二言ひし 壮年の修羅  『紅』
歌書きて妻子を食はせし宮柊二せつなや明日まで十首が足りぬ
力あるまなこはわれを測りゐき宮柊二五十九歳卓を隔てて
その肌(はだへ)死灰と詠みし宮柊二寒かりしならむ最後の一年  『体力』
押入れに顔入れて泣きし宮柊二、折ふし思ひ四十代終る  『家』
栞ひも切れてしまひし『宮柊二歌集』開きてをれば歯科医がのぞく  『葦舟』
4首目の「死灰」の歌は、宮柊二の次の歌を踏まえている。
昼寝する己れを夢に見下せり死灰の肌は亡き父に似る  『緑金の森』

「死灰(しかい)」はあまり目にしない言葉であるが、広辞苑によると「火の気のなくなった灰。転じて、生気のないもののたとえ」とのこと。自らを凝視する冷徹な目を感じさせる歌だ。

posted by 松村正直 at 00:55| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
河野さんの宮先生を詠んだ歌の紹介ありがとうございます。
そうですよね。河野さんは、コスモスの会員だったのです。

8月23日が、宮先生生誕100年ということになります。
Posted by 鈴木竹志 at 2012年08月16日 08:41
先日出版された佐藤通雅さんの『宮柊二 柊二初期および『群鶏』論』にも「宮柊二生誕百年記念出版」の帯が付いていましたね。

宮柊二(1912年)、近藤芳美(1913年)、高安国世(1913年)と、戦後に結社を起こした歌人たちが、今年から来年にかけて次々と生誕100年を迎えます。

この機会に、こうした歌人たちの作品をあらためて読み直したいと思っているところです。
Posted by 松村正直 at 2012年08月16日 09:12
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