河野裕子の第5歌集『紅』には、1986年の宮柊二の死を詠んだ一連「宮柊二」がある。
死者として額(ぬか)ふかぶかと宮柊二この世の涯のひと夜をありつ当時、河野さんは「コスモス」の会員であり、宮柊二は河野にとっての先生であった。
白骨となりてしまひし先生に黒き靴はき会ひにゆくなり
宮柊二の死をばはさみて歩みつつ昔のこゑに人は黙せる
これ以降、河野の歌にはしばしば宮柊二を偲ぶ歌が登場する。
ゆつくりと湯槽(ゆぶね)よりあげし顔貌は宮柊二言ひし 壮年の修羅 『紅』4首目の「死灰」の歌は、宮柊二の次の歌を踏まえている。
歌書きて妻子を食はせし宮柊二せつなや明日まで十首が足りぬ
力あるまなこはわれを測りゐき宮柊二五十九歳卓を隔てて
その肌(はだへ)死灰と詠みし宮柊二寒かりしならむ最後の一年 『体力』
押入れに顔入れて泣きし宮柊二、折ふし思ひ四十代終る 『家』
栞ひも切れてしまひし『宮柊二歌集』開きてをれば歯科医がのぞく 『葦舟』
昼寝する己れを夢に見下せり死灰の肌は亡き父に似る 『緑金の森』
「死灰(しかい)」はあまり目にしない言葉であるが、広辞苑によると「火の気のなくなった灰。転じて、生気のないもののたとえ」とのこと。自らを凝視する冷徹な目を感じさせる歌だ。
そうですよね。河野さんは、コスモスの会員だったのです。
8月23日が、宮先生生誕100年ということになります。
宮柊二(1912年)、近藤芳美(1913年)、高安国世(1913年)と、戦後に結社を起こした歌人たちが、今年から来年にかけて次々と生誕100年を迎えます。
この機会に、こうした歌人たちの作品をあらためて読み直したいと思っているところです。