背中より知らない女が抜け出してなんば十時の待ち合はせに行く2000年から2010年までに作られた423首を収めた第一歌集。
天井には胴うごかさぬ蛾の交尾去年は追ひて今年は追はず
流星群に降られつつ烏賊を剥いてをりどこから指かもう分からない
客間とふつめたき部屋が実家にはありて卵の置かれてゐたり
父母の婚を思へばしみじみとじぶんで稼ぐ金あたたかし
無印良品(むじるし)の階で居眠りする夫よ培養体のやうにしづかに
厨にはちひさき窓がふさはしくすいすいと切る絹ごし豆腐
手とあたまと交互に眠り書きをれば土鳩のやうな朝刊が来る
ええ、こちらはおだやかにやつてます 言葉足らずはつよく伝はる
妹を産んでくれてありがたう交代で見舞ふ晩夏はじまる
上句から下句への飛躍や斬新な比喩など、修辞の力をたっぷりと味わうことができる一冊。自分の来し方や現在を問い直す歌が多く、静かではあるが、やや翳りを帯びた内面が見えてくる。
特に別れた母を詠った歌に印象的なものが多い。引用9首目、10首目も「母」という語は出てこないが母の歌である。母との関係をどのように捉え、どのように関わっていくか。母に対するアンビバレントな思いは、作者の最も根底にある大切な部分のようだ。
作者の朝井さんとは「塔」の旧月歌会で長く一緒にやって来たし、何度も話をしたこともある。しかし、こうして歌集一冊を読んでみると、あらためて「歌」の持つ力というものを感じる。ここには日常の言葉の何十倍もの密度の言葉が並んでいる。
2012年5月20日、砂子屋書房、3000円。