副題は「泰平の世の旅人たち」。
芭蕉の『おくのほそ道』を除いて、あまり知名度もなく、文学的な評価も高くない江戸時代の紀行文の再評価を目指した一冊である。
政情が安定し、治安が保たれ、交通が便利になった江戸時代。中世の辛く憂いの多い旅とは違った新しい旅の形が生まれる。それに伴って、豊かな情報を明快な表現で記した、明るくて新しい紀行文が生まれた。
本書で取り上げられているのは、林羅山『丙辰紀行』、貝原益軒『木曽路記』、本居宣長『菅笠日記』、橘南谿『東西遊記』、古川古松軒『東遊雑記』、小津久足『青葉日記』など。
それらの紀行文の面白さを多くの人に伝えたいという熱意が、随所にひしひしと感じられる。確かに引用されている部分を読むだけでも、十分にその面白さは伝わってくる。
他にも、次のような文章が印象に残った。
すぐれた文学者が何かを激しく批判するのは、その対象を熟知した上のことだ。それに影響された多くの読者が、批判されたものに触れもしないで、同じように攻撃し否定するのは、まあ、そうやって時代が進むのだからやむをえないことでもあるが、時に危険なことである。
江戸時代では書籍に関するさまざまな禁令や弾圧は、印刷された板本が対象で、写本は非公式なものとして問題にしないのが慣例だった。『東遊雑記』のように、貸本屋を通じて広く読まれていたであろう本についても、それが写本であるならば処罰の対象になることはまずなかった。2011年1月25日、中公新書、880円。