書評に引かれていた3首の歌は「乳癌が見つかった」こととは関係がない。それは、『歩く』の巻末の初出一覧を見れば明らかである。
さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをりというように、3首とも2000年9月の「乳癌が見つかった」時より前の歌なのである。
「朝日新聞」1996年3月16日夕刊
死んだ日を何ゆゑかうも思ふのか灰の中なる釘のやうにも
「塔」1999年2月号(初出一覧には2000年となっているが、これは誤り)
どのやうな別れをせしか爪立ちて鞍を置きゐる人と馬とは
競詠「歌ことば・春の饗宴」2000年5月、「塔」2000年5月号
別に、その間違いを指摘したいわけではない。大切なのは、乳癌が見つかる前から「死や別れを意識した作品」が、河野さんには多かったということだ。
今はどうしても河野裕子=乳癌というイメージが強いので、それに引きずられた読みをしてしまうのは仕方がない。でも、そろそろ冷静に河野さんの歌そのものを読んでいくべき時期に来ているのではないだろうか。