さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見ており先日、届いた「青磁社通信」24号にも、この歌が取り上げられていた。
河野裕子『歩く』
シリーズ牧水賞の歌人たちVol.7 『河野裕子』の書評の中で、石川美南は次のように書いている。
本書にも再録されている牧水賞受賞時の講評では、四人の選者全員が「寂しさ」というキーワードを用いている。確かに、『歩く』には、「さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見てをり」のように直接「さびしさ」という語を用いた歌や、「死んだ日を何ゆゑかうも思ふのか灰の中なる釘のやうにも」「どのやうな別れをせしか爪立ちて鞍を置きゐる人と馬とは」など、死や別れを意識した作品が目立つ。『歩く』と『日付のある歌』が制作された頃は、一度目に乳癌が見つかった時期と重なっており、作者の心の揺らぎが、短歌にも滲み出てきていたのだろう。
長い引用になったが、「さびしさ」が河野短歌のキーワードであるというのは、その通りだろう。
しかし、それは、はたして「乳癌が見つかった」ためなのだろうか。
河野さんは2000年の発病と手術、2008年の再発、そして2010年の死まで、自分の病気のことをすべて短歌に詠んできた。そのため最近では、河野さんの歌が病気に重点を置いて読まれるようになっているようで、そこに少し違和感を覚えるのである。
さびしさよこの世のほかの世を知らず夜の駅舎に雪を見ており 河野裕子
死と対峙し意識する寂しい作者がある。ほかの世、とはあの世のことで死後の世界。夜の駅舎、とは死してゆく闇の夜のあの世への旅立ちであろう。まなかいの現実の駅舎を見てかなしく思っているのである。その駅には浄夜するかのように雪がふっている。雪ははかなく美しくわがいでたちをよそおってくれる。なんともあわれではないか。
ずいぶん前に読んだので、あくまで印象ですが、少なくとも『家』の段階では、かなり「さびしい」印象のある歌があったように思います。(『家』所収の歌の制作年代は、発病前)
あくまで推測ですが、例えば、がむしゃらに子育てに励んでいた日々は過ぎ、我が子も成長して大きくなり、少しずつ自分の手から離れていくようになったこと(それは、ある面、「どうしても自分でなくてはならない」場面が減ったことでもあること)、その中で、自分も少しずつ年齢を重ねていったこと、なども、歌の「さびしい」印象に結びついていると解することはできないでしょうか。
もう少し、きちんと読み直して、そのあたりも再考される必要があるかもしれませんね。
気になったので『歩く』の「初出一覧」を調べてみたのですが、この歌集に収められた歌の大半は、乳がん発病・手術以前のものですね。
『歩く』の出版が2001年8月と、発病後間もないころだったので、そこに収められた歌も、発病後の歌ばかりと勘違いされていることが多いようにも思われるのですが、違いますよね。
私の認識では、本格的に病に向き合った歌が出てきたのは『日付のある歌』から、それも終わりの方からだと思っているのですが。
その意味からも「さびしさ」=「癌の発病」という単純な図式ではないと思います。
まさに、その通りです。
詳しくは「その3」に書きます。