「かばふと」という言葉の使用状況について調べてみると、1913(大正2)年8月6日の「東京日日新聞」に、次のような文章が見つかった。「樺太島」という連載の第一回目である。
「からふと」か、「かばふと」か、以前我領土であった時は「からふと」と言うのが通称だったが、千島と交換して露国の領土になってからは「かばふと」と言うのが流行して来た、樺太の文字通りに読むと「かばふと」だが実際はそうではなくて、樺太を「からふと」と読むのが本当だ、日露戦役の結果再び我領土に帰してから「からふと」と、「かばふと」と併用されたが、今では概ね「からふと」になって来た(…)つまり、もともと「からふと」であったものが、1875年(樺太千島交換条約)〜1905年(ポーツマス条約)の間に「かばふと」と読まれるようになり、その後、再び「からふと」に戻ったということらしい。
「からふと」の語源については、諸説があってはっきりしない。はっきりしているのは、本来「からふと」であった名前が「樺太」と漢字で表記された結果、「かばふと」という別の読み方を生んだことである。
漢字の表記に引きずられて、元の地名の読み方が変ってしまうことは、しばしば見られる現象だ。北海道のアイヌ語地名「つきさっぷ」は「月寒」という漢字をあてられて、今では「つきさむ」と読むようになっている。また、沖縄の「豊見城(とみぐすく)」も「とみしろ」と読まれることが近年増えている。
今では「からふと」という本来の読み方が定着しているので、「樺太」を「かばふと」と読んだら笑われるだろう。でも、「かばふと」という読み方も、かつては存在したのである。