2012年05月20日

年譜をめぐる問題(その2)


現在最も信頼できる高安の年譜は、『高安国世全歌集』に載っているものである。そこには次のように記されている。
昭和三十二年(一九五七) 四十四歳
四月、第五歌集『砂の上の卓』出版。五月、ユネスコ地域文化研究員としてドイツ連邦共和国へ出張、ミュンヘン大学でドイツ近代詩を研究。十二月帰国。

これを見ると、歌集の刊行は「四月」、留学への出発は「五月」となっている。ただし、これが正解かと言えばそうではない。

まず、『砂の上の卓』の刊行についてだが、これは歌集の奥付に「昭和三十二年四月三日」と記されており、「四月」が正解と判断していいだろう。

次にドイツ留学への出発だが、これは高安が『北極飛行』の散文の中で次のように書いている。
四月三日の朝八時半、エア・フランスのスーパー・コンステレーションは強い風の中をとび立ち、ぼくははじめて東京の街を空から見下ろした。

つまり、出発は河原の書いている通り「四月三日」で間違いない。高安はこの留学に、刊行されたばかりの『砂の上の卓』を持って行き、ドイツでその翻訳などを試みている。「四月三日」(奥付)に出た本を四月三日の朝に持って行くことは難しいだろうから、歌集の実際の刊行は三月中であったのかもしれない。ただし、刊行日に関しては奥付で判断するのが普通なので、これは「四月」で良いだろう。

つまり、結論としては『砂の上の卓』の刊行も留学への出発も、ともに「四月」(四月三日)ということになる。

posted by 松村正直 at 07:52| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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