2012年05月19日

年譜をめぐる問題(その1)


今年1月から「塔」で「高安国世を読む」という連載が続いている。12か月で高安の13冊の歌集を読むという企画で、毎月楽しみに読んでいる。

4月号では第5歌集『砂の上の卓』、5月号では第6歌文集『北極飛行』が取り上げられているのだが、その中にそれぞれ、以下のような部分がある。
第五歌集『砂の上の卓』には昭和三十年一月から三十二年一月までの作品三〇三首が収録されている。ユネスコの地域文化研究員としてドイツに留学が決まり、準備で忙しい中急いで四月に上梓された。五月に出発し、ミュンヘン大学でドイツ近代史を研究し、十二月に帰国している。  (渡辺久美子)
高安国世がユネスコの派遣でドイツミュンヘン大学にドイツ近代詩を研究するため留学したのは一九五七(昭和32)年四月三日、帰国は同年十二月二六日、高安国世四十四歳。三月、第五歌集『砂の卓』出版しこの歌集を携えてドイツに渡った。  (河原篤子)

渡辺の「ドイツ近代史」は「ドイツ近代詩」、河原の『砂の卓』は『砂の上の卓』の間違いであるが、それ以外にも異なっている部分がある。『砂の上の卓』の刊行月と高安がドイツ留学へ出発した月だ。

『砂の上の卓』の刊行を渡辺は「四月」、河原は「三月」と書いている。また、高安がドイツ留学へ出発したのを渡辺は「五月」、河原は「四月三日」と記している。一体、どちらが正しいのか?

posted by 松村正直 at 00:31| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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