「短歌現代」2009年8月号〜2011年7月号まで、2年間にわたって連載された文章をまとめたもの。昭和12年に始まる日中戦争の時期の茂吉の歌や散文を取り上げて論じている。
タイトルに「今から読む」とあるように、常に現在との比較や時代の違いなどを意識しながら筆を運んでいるのが特徴で、2009年の新疆ウイグル自治区の暴動や2010年の玉城徹の死、2011年の東日本大震災の話などがリアルタイムで入ってくる。
こうした自在で柔らかな書き方は著者ならではのものであり、なかなか他の人の真似できないところだろう。日中戦争時の茂吉についての論考は、脱線や拡散を繰り返して、最終的にはあまりまとまりのないままに終わるのだが、読んでいて面白いことは間違いない。
(『わが告白』より、ずっと面白いと思う)
興味を引かれる部分も多い。例えば清水哲男の「ミッキー・マウス」という詩を引いて
「僕」の中に、作者の若いころの生活の影を見ることはできるが、短歌のもつてゐる約束(作者イコール発話者イコール発語主体)といふのとは全く違ふ詩がここにあることはまちがひない。
と書いているあたりなど、括弧のなかに何気なく注記しているようでいて、実はけっこう大事なところだろう。
短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前にも注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。
という『現代短歌入門』の一節は、今でも私性に関する定義としてしばしば引用されるし、今でもこれ以上の定義は生まれていない。しかし、これが書かれたのは50年も前のこと。岡井自身は、もうとっくに、こうした定義から自由になっているのだ。
2012年4月5日、砂子屋書房、2700円。