2012年05月11日

雨宮雅子歌集『水の花』

午後の陽は卓の向かうに移りきて人の不在をかがやかせたり
信仰に苦しみたりし歳月のはてしづかなる雨の日のあり
死にかはるほかなきわれら列なせり記念切手を購(もと)めむがため
ハンカチを泪のために使ふことなくなりて小さき菓子など包む
足の小指を骨折したりなにひとつ役に立たざる足の小指を
ひねもすを降る冬の雨ぬばたまの壺中となれる家に灯(ひ)ともす
腕(かひな)とは腕もて人を抱くもの甲斐なきかひな静かに洗ふ
沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ
朝ひかり差す展示室絵のなかの青き林檎にわれは近づく
天国が空にありたる幼年の日は星空も高かりしかな

1929年生まれの作者は今年で83歳。2001年に夫を亡くしてから一人暮らしを続けているようだ。あとがきには「前歌集『夏いくたび』を発刊した頃、私は五十年在籍した日本基督教団を離教した」とあり、それが大きなテーマとなっている。

五十年というのは簡単な年月ではない。死が近くなって入信するという話はよく聞くが、逆にわざわざ離教するというのは珍しい。おそらく、どのように死ぬかという問題を考えた末の結論なのだろう。
人びとに囲まれていても、人は一人で逝くのだから、孤独死は決してわびしいものではなく、救いのようにも思える。その覚悟をもって、私はうたを作りつづけたい。

強く印象に残る言葉である。
そうした覚悟がひしひしと伝わってくる歌集であった。

2012年5月1日、角川書店、2571円。

posted by 松村正直 at 01:33| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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