また父は、大坂の長予専斎、大井卜新二氏、神戸の外人ボオドイン氏等の後援を得て、京都市内に一店を設け、洋薬を主として石油、洋酒等をも鬻ぎ「ポン水(すゐ)」と称して今の所謂ゆる「ラムネ」をも製造して販売せり。
と記している。永田さんの歌にも
与謝野禮嚴ラムネを発明せしことも蛇足として短く講話を終えき
永田和宏『百万遍界隈』
という一首がある。おそらく与謝野鉄幹についての話のついでに父の礼厳のことに触れたのだろう。雑学ネタとして面白い歌である。ただし、「禮嚴」と旧字を使うのであれば「与謝野」も「與謝野」とすべきかもしれない。