2012年04月25日
「かりや」第33号
刈谷市郷土文化研究会の発行する雑誌を、「コスモス」の鈴木竹志さんから送っていただいた。巻頭に鈴木さんが「わが歌の恩人達(一) 鈴木定雄」という10ページにわたる文章(講演を元にしたもの)を書いている。
昨年5月に亡くなった鈴木定雄さんは、戦後のアララギ若手歌人の同人誌「ぎしぎし」の中心メンバーの一人で、「アララギ」「未来」などでも活躍した。しかし、その後短歌から離れたことや歌集がないこともあって、今ではほとんど忘れられてしまった歌人である。
鈴木竹志さんは高校教師をしている時に、生徒の父親である鈴木定雄さんと偶然出会ったらしい。その後の交流や、鈴木定雄の短歌作品の特徴や足跡を、愛情のこもった筆致で描き出している。初めて知ることも多く、戦後という時代の雰囲気がよく感じられる。
実は、昨年、鈴木竹志さんのご仲介によって、鈴木定雄さんの蔵書の一部(高安国世の著書や「塔」のバックナンバー)を塔短歌会事務所にご寄贈いただいた。鈴木定雄さんはかつて短歌をしていたことを周りの人にはあまり言っていなかったようだが、こういった本が残っていることに、鈴木さんの短歌に対する思いを感じ取ることができるように思う。
鈴木さんは「ぎしぎし会々報」に計186首の短歌を残している。他にも「アララギ」「西三河通信」「未来」「塔」などに載った歌を集めれば、おそらく歌集1冊分にはなるだろう。戦後短歌の貴重な記録として、これを何とか歌集にまとめる術はないものだろうか。
多分、定雄さんの歌は探し出せば、300首くらいはあるでしょう。問題はまずは人でしょうね。
誰がその作業ができるのか。
難しいところです。
「塔」にも1954年と1969年〜72年で合計121首が掲載されています。
医者としての日常を詠んだ歌が多いですが、そんな中に
農に生き農に耐えざるまで老いし父が朝々味噌汁を煮る(1970年2月号)
おのれ酔う如き誦経の父の声戦死者兄の位牌の前に(1970年7月号)
などの父の歌もあって、いろいろ考えさせられます。