2012年03月31日

今野寿美歌集 『雪占』

学校から〈父兄〉が消えて〈父母〉消えてあたりさはりのなき〈保護者〉会
水仙は立つて年越すならひにて暮らしの外に香をただよはす
念入りに水浴びてゐるつぐみなりなかば浸りて瞑想もして
人はみな心で思ふものにして衿かきあはするときあたたかし
皮はぎのつるりと可哀想なるを煮たれば熱いうちにと供す
餌づけまでして撮らむとぞその一羽を囲むは例外なく男なり
をさなごがきちんと静止するすがた放射線量測らるるため
夏衣(なつぎぬ)の尾長ゆらりと裾をひき雨のにほひを残して消えぬ
ぬくもりのUSBメモリー手の内にあるは嬉しも今日はここまで
朝の温泉たまごがふたごそんなことすらとかさへとかだにといふこと
  (「すら」「さへ」「だに」に傍点あり)

第9歌集。2011年に「歌壇」に連載したもの(30首×12回)から340首を選んで載せている。題名の「雪占(ゆきうら)」とは「山や野に消え残る雪の形によって、農作業の時期を測り、また、その年の豊凶を占うこと」(広辞苑)。

連載5回目「もし、ここで」が東日本大震災の歌となっており、それ以降、一冊の歌集の中でも随分と歌の雰囲気が違ってくる。緻密な作りの歌から、率直に思いを述べる歌への変化とでも言ったらいいだろうか。

震災を受けて、それまでのような歌を作り続けることに空しさを覚えたのかもしれない。後半に「わからないやうに言ふのが身上と言つてゐるかのやうな歌読む」という歌が出てくることにも、そうした変化が感じられるように思う。

歌集の特徴としては、鳥の歌が多いこと。よくその生態を観察して詠まれた良い歌が多い。上に挙げた10首選でも3首が鳥の歌になった。

もう一つは、歌人の伝記的な事実や詩歌の伝統を踏まえた歌が多いこと。例えば
「ちう位(くらゐ)」と言へるがほどの心ならわるくなからめこの世の春も

は、もちろん一茶の「目出度さもちう位也おらが春」を下敷きにしている。
神宮のひつそり紅き珊瑚樹に三十年後の挨拶をせり

この歌の背景には、作者自身の
珊瑚樹のとびきり紅き秋なりきほんたうによいかと問はれてゐたり
                    『世紀末の桃』

があるのだろう。

2012年3月20日、本阿弥書店、2500円。

posted by 松村正直 at 00:11| Comment(1) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
   歌の鑑賞

 念入りに水浴びてゐるつぐみなりなかば浸りて瞑想もして

水浴びているつぐみを作者は見ている。見ねばこのように歌えないであろう。なかば浸りて、とは面白い。小鳥がこのように水浴びするなど知らなかった。頭で想像して歌ったならばよくないのだが。この瞑想が面白い。おそらく、瞬間に目を閉じたのであろう。瞑想とは瞬間でなく長いのだからこれは虚実かもしれないのだがご老体の見る目の無邪気さに微笑ましくわたしは受けとっている。

 
Posted by 小川良秀 at 2012年04月04日 12:38
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