先日、点つなぎパズルを作るパズル作家が出演して、面白いパズルを作るコツとして、「もし100個の点をつなぐとしたら、50個くらいまで線をつないでも、まだ何の絵かわからないように作る」という話をしていた。
なるほど、線をつないでいる早い段階で何の絵かわかってしまったら、パズルを解く楽しみは半減してしまう。
これは、短歌でも同じことだろう。
例えば
雨粒が斜めに窓をのぼりきてわが飛行機は機首を下げゆく
大辻隆弘『汀暮抄』
という歌の上句と下句をひっくり返してみる。
わが飛行機は機首を下げゆき雨粒が斜めに窓をのぼりゆく
(改作案)
こうすると、原作の持っていた味わいが半減するどころか、全くなくなってしまうことに気が付く。飛行機に乗っている場面と最初はわからないことが、この歌にとっては肝腎なのだ。
31音全体で見た情報量は全く同じであっても、言葉の並べ方によって、歌は生きもするし死にもする。そのことに改めて気づかされた。