平田オリザの主宰する劇団「青年団」の公演はときどき見に行く。でも、これまで、その理論的支柱となっている平田の演劇論「現代口語演劇のために」は読んだことがなかった。入手が容易な『演劇入門』や『演技と演出』(ともに講談社現代新書)は読んでいたのだが、それらのベースとなったのがこの本である。
今から20年近く前、著者がまだ30歳の頃に書かれたものであるが、今でも色褪せていない。著者の主張する「主語・述語の演劇から、助詞・助動詞の演劇へ」「語順についての考察」といった部分は、まさに短歌にも当てはまる内容と言えるだろう。そこらの歌論書を読むよりも、この演劇論を読んだ方がはるかに歌作りにも役立つと思う。
舞台には何らかの作為が必要だ。それはまぁ確かなことなのだが、だがしかし、何かをやるとみなそれが嘘にしか見えなくなってしまう。
精神的な概念を捨てて、言葉やものといったできるだけ具体的な事物に寄り添って演劇を作るところから、私は作業を始めようと考えている。
私の演劇にとって大事なことは、人間の意識の流れをくみ取って、それを言語に表していくことだ。
人間は、悲しいときに、とりたてて「悲しさ」を表現することはしない。
物語が人間を不自由にする。物語を説明するための台詞が役者を不自由にする。
こんなふうに、印象に残った文章を引いていくと、キリがない。
1995年3月10日、晩聲社、2000円。
衝撃を受けました。
「東京ノート」「ソウル市民」などなど。
京都の劇団ならMONOとか好きだったなあ。
私、当時、高校の演劇部顧問でしたが、
やたらとがなる高校の演劇が大嫌いで、
「静かな演劇」を志向していました。
それをやると、
古い審査員から
「お客にお尻をむけてはいけない」
「セリフがかぶってはいけない」
などと、バカな批評を受けて憤慨したものです。
で、若手の演劇部顧問があつまって、
三重県で平田オリザの高校生むけのワークショップを
開いてもらいました。
平田さん、実に熱心に、私たち顧問にも
アドバイスしてくれました。
平田オリザはえらいさんになったけど、
彼の「日本語」に対する
冷静できわめてリアリステックな視線は
いつもすごいなあ、と思います。
↑ここに書かれているのは、全部、短歌そのものですよね。
「夢の遊眠社」や「第三舞台」が華々しく活動していた80年代から、平田オリザの「静かな演劇」が登場する90年代へという変化は、大きなものだったような気がします。
新劇以降の日本の演劇の歴史と短歌史とを比較してみると、けっこうパラレルな部分があって面白いと思っています。