2012年03月08日

「波」2012年3月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第十回。

今回は乳癌の再発が見つかった後、家族4人で京都御所に写真撮影に行った話や、京都新聞に連載した「京都歌枕」の話が中心である。

何の気なしに読んでいたところ、〈松村正直歌集『やさしい鮫』を読んだとき、なかに「明智藪」という一連があって、不思議に記憶に残っていた。〉という記述に出くわして、びっくりする。

明智藪は京都市伏見区小栗栖(おぐりす)にある、明智光秀が最期を遂げたと伝えられる場所。山崎の合戦で敗れた光秀は、近江坂本の居城を目指して逃げる途中、伏見の大亀谷を通り、この小栗栖で殺されたのである。

大亀谷には私の自宅があり、小栗栖の近くには息子の通う保育園があった。
というわけで、私にとっては非常に身近な地域。

もっとも、明智藪自体は永田さんも書いている通り、「なんだこんなところか」というようなところだ。でも、あんなところにも河野さんは足を運んだんだなと思うと、懐かしい気持ちになる。

posted by 松村正直 at 00:05| Comment(4) | 短歌誌・同人誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
明智藪の近くに住んでおられるのですか。京都の友にいわせると、明智を刺した土民の子孫は盲目が出たというのだ。真偽はどうなのかな、恐い話である。
Posted by 小天狗 at 2012年03月08日 23:16
明智藪では、赤い枝の竹が生えたというような伝説も残っています。
Posted by 松村正直 at 2012年03月09日 00:36
小栗栖は「おぐるす」?「おぐりす」?

ずっと「おぐるす」と思ってたのですが、中学校は「おぐりす」なんですね。
Posted by 永田淳 at 2012年03月09日 12:50
「おぐるす」「おぐりす」どちらもあるようです。

もともと歴史的には「おぐるす」と言っていたようですね。地名辞典などでは確かに「おぐるす」で載っています。

それが、だんだんと漢字の読みに引きずられて「おぐりす」と読まれるようになり、今では公的なものはほとんど「おぐりす」になっている、ということみたいです。
Posted by 松村正直 at 2012年03月09日 13:21
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