死者が歳をとることがあるか成人した妹が夢にわれを打ちたり
真中朋久『重力』
おそらく、妹さんは成人することなく亡くなったのだろう。その妹が、成人した姿で夢に現れて作者をひっぱたいたのだ。何とも痛烈な歌である。
真中さんはあまり自分のことについて語らない人なので、話を聞いたことはないのだが、歌を読んでいれば、真中さんには弟と妹がいて、弟は幼い時に、妹も成人前に亡くなっていることがわかる。
いもうとに恋あらざりし 白き衣をひろげて風になびかせてみる 『雨裂』
いくたびか死を拒みたるいもうとのその冬の日の窓の日ざしを
七年は父母の寝室に置かれありしまこと小さき弟の骨
妹の残したるものか仕舞はれて四半世紀経し衣を濯ぐ
弟妹の眠れる墓にその父母は入るのだらう丘をのぼつて 『エウラキロン』
三人のなかのひとりとしてわれは生き残りたり生きて長じたり 『重力』
これらの歌は、どれも歌集では別々のところにあって、ひっそりと置かれている。それをテーマにした連作が詠まれているわけではない。それでも、亡くなった者たちが常に作者の心の中にいることが、十分に伝わってくる。
こうやって示していただくと、
真中さんが毎日新聞で原発を「弟」に喩えていた
真の意味がよく分かるような気がしました。
今回の「工場の街」もそうですが、
真中さんが故郷を詠んだ歌には、独特の陰影があります。
「真の意味」とか言われると、ちょっとたじろぐのですが。
読み直すと新たな発見がいろいろあります。