2月号を読んで一番強烈だったのは次の歌である。
着物の中は鶏がらだ会場にたれか言いたり母の立てるを
永田 淳
河野裕子さんが、亡くなった年の5月に斎藤茂吉記念全国大会で講演した時か、6月に小野市詩歌文学賞を授賞した時のことだろう。大事な場面では河野さんはいつも着物姿だった。
乳癌再発時の歌に、既に〈四十キロに及ばずなりしこの身体素足すべらせ体重計よりおりる〉(『母系』)とあり、亡くなる前の月に書いた文章には「体重も三十三キロになってしまった」(「塔」2010年8月号)とある。
この歌は、1年半くらい前の出来事を詠んだものだ。それだけの時間を経て、ようやく歌にすることができたということだろう。強い憤りと悲しみが一首の歌となるまでにかかった時間のことを思って、私は粛然とした気持ちになる。