古い「塔」をパラパラ読んでいたら、高安国世が村上春樹について書いている文章を見つけた。二人が時代的に重なっているとは思わなかったので、ちょっと意外な気がした。1983年7月号である。
すこし前に村上春樹の『羊をめぐる冒険』を読んだ。最近は短歌に関する仕事がやたらにふえて、あまり小説など読んだことがなかったせいか、久しぶりに活発な興味をもって読了した。
はじめは現代の若手作家はどういうことを書くのだろうとか、そこに現れてくる現代の生活情況とか主人公の没理想的な生活態度とかに興味を抱かせられたと言ってよいが、しかしそれだけではない明らかに文学以外では味わえない何物かによって引きずられ、気持ちをかき立てられて行くことに気づいた。
要約できないもの、何と指して言えない魅力―これは何だろうかと、あとで考えて、そうだ、それは文体なのだと気付いた。逆に言うならば、文体のない文章ほどつまらないものはないのだ。
文章の内容とか意味とかと無論切りはなすことはできないのだろうが、言葉のリズムとか作者の息づかいと言ったものがこちらの体感として伝わってくることがなければ、私たちはとうてい数ページの文章も辛抱できないのではないか。(以下略)
高安さんは翌1984年に亡くなっている。晩年の高安さんが村上春樹の初期の作品を読み、その文体に注目していたことを、何ともおもしろいなあと思う。
高安さんも村上春樹を読んではってんねぇという感じで。
以外なことに(?)読む会のメンバーは皆さんかなり村上春樹マニアで、年代を問わず読まれているのだなぁと思いました。
でも、高安さんが読んでいたことに気づいたときは本当にびっくりしました。私にとって高安さんは歴史上の人物のように思っていたのが急に親しみが湧いたのでした。
「塔」のバックナンバーを読んでいると、いろいろと新しい発見があって面白いです。作り手の情熱も感じますし。