「未来」十二月号の「続・物故歌人アンソロジー(4)」(さいとうなおこ・抄出)の樋口治子さんの名前を見て思い出したことがある。この人は土屋文明に「初々しく立ち居するハル子さんに会ひましたよ佐保の山べの未亡人寄宿舎」(『山下水』)とうたわれたその人である。「未来聴聞記」に登場してもらおうと思って打診したところ入院中とのことであり、しばらくして亡くなられたのであった。
この樋口治子さんについては、昨年、「「樋口作太郎に報ず」考(二)―ハル子さん」(「塔」2011年5月号)という文章の中で取り上げたことがある。樋口治子さんは、文明選歌欄の歌人樋口作太郎の息子勇作の妻にあたる人。亡くなる少し前に出た歌集『行雲』(1998年)には、文明のことを詠んだ次のような歌がある。
得難きを得難きと思わぬ貧しさか佐保の寄宿舎に訪い賜いにき
はる子さんとよみ給いし日のありてそこのみに照る吾の陽溜り
「未来」12月号には、さいとうなおこさんの抄出で8首の歌が引かれている。そのうちの3首をあげる。
樋口治子(札幌) 一九八七年入会 一九九八年十一月二〇日没
さらさらとダクトを流るる春の雪やさしき音の一つに数う
幼児の吾を遠くに遊ばせてふるさと今し雪降りしきる
茂吉眠る小さき墓の黒みかげに象眼のごとくあきつ動かぬ
亡くなった方のことを忘れないというのも、結社の大切な役割だろう。