2012年01月20日

白木裕歌集『炎』

白木裕(本名 白木豊)は東京文政大学(現在の大東文化大学)事務局長、実践女子大学教授を歴任した漢学者で、「アララギ」「関西アララギ」所属の歌人でもあった。歌集『炎』(昭和29年・関西アララギ会発行)の巻頭には「黄の閃光」と題する141首の大作がある。

「八月六日午前八時十五分、広島市皆実町の自宅にて原子爆弾に遭ふ。妻敏子・長女壽美子・三女閑子、いづれも国民義勇隊員として出勤、市内に於て建物疎開作業中被爆、三人三所に、相次いで死亡す」との前書きに続いて、次のような歌が載っている。

黄の光窓に閃(ひら)めき一瞬(ひととき)に我が家(いへ)は頽(くづ)れ来ぬわが身の上に
焼かれし妻を励ましながらもろともに案じて言ふはまだ帰らぬ児等のこと
やうやくに起き上り見れば燃ゆる人顔の皮ぶら下(さ)げし人手の皮ぶら下(さ)げし人
燃えながら共済病院まで逃げ行きしがわが家に死なむと帰り来ぬ妻は
火傷には油が良しといふとにもかくにもバター塗りやる顔に身体(からだ)に
壽美子は新婚の夫(をつと)の許(もと)にわが妻はわが許(もと)に死なせむ戦争なれば
閑子(しづこ)の名静子(しづこ)と記されある見れば臨終(いまは)のこゑを書き留められし

原爆が投下された広島の町、そして離れ離れになった家族の状況が、感情表現を抑えて克明に描かれている。油の代わりに妻の身体に「バター」を塗る歌や、間違えて「静子」と記された娘の遺体など、どの歌も忘れられない強い印象を残す。

こうした悲惨な状況にあっても、なお歌は「アララギ」の写実的な詠い方をはみ出すことはない。感情をあらわに泣き叫ぶのではなく、耐え忍んでいるかのような詠い方をしている。おそらく、それ以外の詠い方を知らなかったのだろう。そこに、一層のかなしみを覚える。

*白木裕については、以前「塔」で清水房雄さんのインタビューをした時に話が出ました。「塔アーカイブ」で読むことができます→こちら
posted by 松村正直 at 06:27| Comment(2) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こちらの記事があったのですね。

本人は爆心からやや離れた家の室内にいて助かった。家族はおそらく、より爆心に近い戸外に動員されていて亡くなった。作者は自分で自分を責めることにもなったでしょうね。

歌集を探して、ぜひ読みたいと思います。
Posted by 中西亮太 at 2016年08月17日 21:38
高安国世に

八月六日の惨あますなし白木裕歌集「炎」原民喜小説集「夏の花」 /『夜の青葉に』

という一首があって、それで読んでみたのでした。


(引用歌のレイアウトが崩れていた部分を修正しました。リンクも新しく貼り直しました)
Posted by 松村正直 at 2016年08月17日 22:30
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