2012年01月13日

葡萄耳人と葡萄牙人(その2)―短歌探偵の休日

漱石の中で起きた変化を考えるために、〈ポルトガル人〉に関する文章を、すべて時系列に並べてみよう。その際に、各巻の後記を見て、全集が何を底本としているか、さらに初出などとの異同も確認する。(◎は全集が底本としているもの)
明治34年 「倫敦消息」の原稿は所在不明
明治34年◎「倫敦消息」(初出『ホトトギス』)・・・葡萄耳人
明治40年◎『虞美人草』の原稿・・・葡萄耳人
明治40年 『虞美人草』(初出「東京朝日新聞」)・・・葡萄牙人
明治44年◎「マードック先生の日本歴史」の原稿・・・葡萄牙人
明治44年 「マードック先生の日本歴史」(初出「東京朝日新聞」)・・・葡萄牙人
大正 4年◎「倫敦消息」の原稿・・・葡萄牙人
大正 4年 「倫敦消息」(初出『色鳥』、新潮社)・・・葡萄牙人
このように並べてみると、明治40年の『虞美人草』の原稿と初出の「東京朝日新聞」の間に線を引くことができる。この時点で、漱石は「葡萄耳人」から「葡萄牙人」へと表記を変えたのである。

おそらく、子規に宛てた手紙が「ホトトギス」に載った段階では、「葡萄耳人」という表記について誰も何も言わなかったのだろう。しかし、『虞美人草』を新聞に連載する段階で、「葡萄耳人」という表記は新聞社のチェックを受けて「葡萄牙人」に直された。

それ以降、漱石自身も「葡萄耳人」と書くことはなくなったのである。「マードック先生の日本歴史」では、原稿の段階で既に「葡萄牙人」と書かれている。『色鳥』所収の「倫敦消息」において「葡萄耳人」が「葡萄牙人」に書き直されたのも、同じ理由によるのだろう。

こうして、「葡萄耳人」というユニークな表記は、日本語から姿を消したのである。《完》

posted by 松村正直 at 00:16| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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