2012年01月12日

葡萄耳人と葡萄牙人(その1)―短歌探偵の休日

最新版の『漱石全集』を読んでいると、いろいろと面白いことがわかってくる。漱石の文章には、確認できた範囲で4回、〈ポルトガル人〉が出てくる。全集におけるそれぞれの表記は次の通り。なおルビについては省略する。
『虞美人草』(全集第4巻)・・・葡萄耳人
「倫敦消息」(『ホトトギス』所収)(全集第12巻)・・・葡萄耳人
「倫敦消息」(『色鳥』所収)(全集第12巻)・・・葡萄牙人
「マードック先生の日本歴史」(全集16巻)・・・葡萄牙人
4回のうち2回が「葡萄耳人」で、2回が「葡萄牙人」となっている。どうして、このように二つの表記があるのだろうか?

その理由を考えるには、二つの「倫敦消息」を比べるのが良いだろう。「倫敦消息」は明治34(1901)年にイギリス留学中の漱石が病床の子規に宛てて送った手紙である。前文や結びの部分などを省いた計3通の手紙が、「ホトトギス」に2回にわたって掲載された。それが全集で言う「『ホトトギス』所収」の方である。

その後、この「倫敦消息」は大正4(1915)年に新潮社から出版された散文集『色鳥』に収録されるのだが、その際に、漱石自身の手で大幅に削除改訂が行われたのである。それが「『色鳥』所収」ということになる。

つまり、両者の間、明治34年から大正4年に至る間に、漱石の中で何らかの変化が起きたということになるだろう。

posted by 松村正直 at 00:15| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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