この全集は新書版や菊判が「旧字」を使用していたのに対して「新字」になっている点が大きな違いであるが、それだけではない。「自筆原稿に基づいて本文を一新し、漱石が書いたままの形でその文章を読んでみたいという願望に応えます」という宣伝文からもわかるように、細かな点でかなり多くの異同があるのだ。
例えば、「葡萄耳人」の近くに「見當(けんたう)」という言葉がある。ここが四六判では「見当(けんとう)」となっている。辞書などに載っている(正しい)旧仮名遣いでは「見当」は「けんたう」になるので、「けんとう」というルビは漱石の自筆原稿に従ったものなのだろう。こうした例が非常に多い。
さて、問題の「葡萄耳人」の部分であるが、四六判全集では次のようになっている。
ぼるとがるじんよく見ていただきたいのだが、ルビの最初の文字が「PO」ではなく「BO」なのである。つまり、漱石の元の原稿では「ぼるとがるじん」であったらしいのだ。
葡 萄 耳 人
「ぽるとがるじん」と「ぼるとがるじん」―1音違うだけで、随分と言葉から受ける印象は違ってくる。もし、永井陽子がこの全集で『虞美人草』を読んでいたら、「葡萄耳人」の歌は生まれなかったかもしれない。そんなことを考えてみたりする。《完》
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これからも数々の難事件(?)を解決していくつもりです。