書(ふみ)よみて賢(かしこ)くなれと戦場(せんぢやう)のわが兄(あに)は銭(ぜに)を呉(く)れたまひたり日露戦争には長兄広吉、次兄富太郎の二人が出征している。1、2首目に登場する兄は、そのうち次兄の富太郎ではないかと言われている。
戦場(せんぢやう)の兄(あに)よりとどきし銭(ぜに)もちて泣き居たりけり涙おちつつ
真夏日(まなつひ)の畑(はたけ)のなかに我(われ)居(を)りて戦(たたか)ふ兄(あに)をおもひけるかな
これらの歌を読むと、茂吉はまだ少年で実家にいるような感じを受けるのだが、実際はそうではない。茂吉は既に23歳。東京にいて旧制第一高校から東京帝国大学へと進学する時期である。また、子規の『竹の里歌』を読んで、本格的に歌作りを始めたところであった。
『赤光』は初版(大正2年)と改選版(大正10年)では歌の並べ方をはじめ大きな違いがある。上記の1、2首目も改作が施されているが、3首目などは全く違う歌になっている。初版ではこういう歌であった。
かがやける真夏日のもとたらちねは戦(いくさ)を思ふ桑の実くろし
なんと、初版では母が戦争を思っている歌であったのが、改選版では自分が戦場の兄を思っている歌に変っているのである。このあたりの茂吉の心理もなかなか興味深いところだ。