ここで黒溝台戦当時の日本陸軍の編成について、簡単に触れておきたい。関係のある部分だけ簡略に記すと次のようになる。
◎第2軍
○第3師団
○第4師団
○第5師団
○第8師団
・歩兵第5聯隊(青森)
・歩兵第17聯隊(秋田)
・歩兵第31聯隊(弘前)
・歩兵第32聯隊(山形)
○後備歩兵第8旅団
・後備歩兵第5聯隊
・後備歩兵第17聯隊
・後備歩兵第31聯隊
○騎兵第1旅団(旅団長 秋山好古)
茂吉の長兄広吉は「第8師団」とは別に編成された「後備歩兵第8旅団」の「後備歩兵第17聯隊」所属ということになる。次兄の富太郎も日露戦争に出征しているが、こちらは後備歩兵第32聯隊の所属で、朝鮮に渡っていたらしい。
「後備」とは戦争が長引いた時などに投入される補充部隊のこと。7年間の常備兵役(現役3年+予備役4年)を終えた後備兵役(5年間)の人員で編成されており、当然平均年齢も高かった。
日露戦争の開戦当時、長兄広吉は30歳、次兄富太郎は28歳。二人とも既に常備兵役は終えて後備兵役の期間であった。つまり、戦争が長引きさえしなければ、出征することもなかったのだ。
一方の茂吉は1882年生まれの22歳。まさに現役兵の年齢である。東京に出て、旧制第一高校から東京帝国大学へという人生をたどらなければ、あるいは茂吉の方こそ黒溝台で戦っていたかもしれないのである。
2011年12月16日
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