2011年12月16日

黒溝台(その3)

ここで黒溝台戦当時の日本陸軍の編成について、簡単に触れておきたい。関係のある部分だけ簡略に記すと次のようになる。

◎第2軍
  ○第3師団
  ○第4師団
  ○第5師団
  ○第8師団
    ・歩兵第5聯隊(青森)
    ・歩兵第17聯隊(秋田)
    ・歩兵第31聯隊(弘前)
    ・歩兵第32聯隊(山形)
  ○後備歩兵第8旅団
    ・後備歩兵第5聯隊
    ・後備歩兵第17聯隊
    ・後備歩兵第31聯隊
  ○騎兵第1旅団(旅団長 秋山好古)

茂吉の長兄広吉は「第8師団」とは別に編成された「後備歩兵第8旅団」の「後備歩兵第17聯隊」所属ということになる。次兄の富太郎も日露戦争に出征しているが、こちらは後備歩兵第32聯隊の所属で、朝鮮に渡っていたらしい。

「後備」とは戦争が長引いた時などに投入される補充部隊のこと。7年間の常備兵役(現役3年+予備役4年)を終えた後備兵役(5年間)の人員で編成されており、当然平均年齢も高かった。

日露戦争の開戦当時、長兄広吉は30歳、次兄富太郎は28歳。二人とも既に常備兵役は終えて後備兵役の期間であった。つまり、戦争が長引きさえしなければ、出征することもなかったのだ。

一方の茂吉は1882年生まれの22歳。まさに現役兵の年齢である。東京に出て、旧制第一高校から東京帝国大学へという人生をたどらなければ、あるいは茂吉の方こそ黒溝台で戦っていたかもしれないのである。

posted by 松村正直 at 00:16| Comment(0) | 斎藤茂吉 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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