うつせみのいのち絶(た)えたるわが兄は黒溝台(こくこうだい)に生きのこりけり昭和6年11月13日の長兄広吉の死を詠んだもので、第9歌集『石泉』に収められている。この歌の面白さについては、小池光『茂吉を読む』に詳しい。黒溝台は日露戦争の激戦地として有名な場所。(詳しくは→こちら)
今回、問題にしたいのは、これによく似た歌がもう一首、茂吉にあるということである。
三年(みとせ)まへに身まかりゆけるわが兄は黒溝台戦(こくこうだいせん)に生き残りけり
第11歌集『暁紅』に収められた歌で、昭和10年の作品。先に挙げた歌と、何ともよく似ている。
普通に考えれば、昭和6年に先の歌を詠んだ茂吉が、約3年後の昭和10年になって再び後の歌を詠んだということになるだろう。しかし、茂吉の歌について考える場合、そう簡単に結論を出すことはできない。詠われている時期と、歌を作った時期とに大きなズレがあるからだ。
歌集の出版年で言えば、『石泉』は昭和26年で、『暁紅』が昭和15年。後者の方がはるかに早いのである。つまり、「うつせみの・・・」の歌の初出を調べない限り、どちらが先に作られた歌かという結論は出ないわけだ。
ちなみに、昭和6年当時の手帳(手帳26)を見ると、そこには歌の原型となったと思われる、次のようなメモが残されている。
はげしかりしことをもへはわが兄は黒溝台にいきのこりたり